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トリビアの食卓

項目は新しく追加した順に並んでいます。

1950年頃の大山康晴九段の昼食の定跡は寿司

関西での対局では寿司が定跡だったようだ


(出典:将棋世界1951年3月号 p.67より)

観戦記に棋士の食事情報が初めて書かれたのは、1932/09/11(日)の「國民新聞」

1932/09/11(日)の國民新聞の将棋観戦記が、棋士の食事に注目した初めての観戦記。
対局は、全高段者争覇戦 六七段平手戦 山本楠郎七段対小泉兼吉六段戦で、観戦記者は倉島竹二郎氏。
08/22からの高段者優勝戦三番勝負第1局土居市太郎八段対金易二郎八段戦に続いて、倉島氏二本目の観戦記となる。

二日制十時間対局の1日目昼食で、山本七段、小泉六段両者とも鉄火丼を食した。


本人は以下の回想をしている。
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 私の暗中模索はしばらくつづいたが、やがて私は観戦記の本筋らしいものを発見した。
 それは、対局風景の描写であった。
 その日の天候や対局場の紹介(「国民新聞」の対局場は溝呂木七段の家にかぎられていて、
しまいには何も書くことがなくなったが)、また対局者の服装や対局中の顔色動作などを
できるだけリアルにくわしく書くことである。
 私のねらいは、読者をして勝負の場の空気を実際に観戦しているように感じさせることであった。
 それまでにもそうした描写が全然ないではなかったが、それは刺身のツマ程度で、
私のようにそれに主力を注いだものはあまりなかった。
 時には編集部の方から
「将棋指しが昼飯になにを食ったか、そんなことまで書く必要はないじゃないか」
と横槍の出たこともあったが、私は
「そんなばかな話はない。鰻丼を平らげるのと、笊蕎麦ですませるのとでは違う。
 それでその棋士の嗜好もわかれば風貌もおのずと感じられ、読者は親しみをますじゃないか」
と、反駁して改めようとしなかった。
 幸い、これは読者に受けて将棋欄がおもしろくなったという投書がくるようになったし、
その後あちこちの観戦記で私流の対局描写を見うけるようになった。
 私は鉱脈の一つをさぐり当てた気がしてうれしかった。
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(典拠:「昭和将棋風雲録 名棋士名勝負物語」(倉島竹二郎)講談社 1985 p.18,19より 適宜改行を施した)

将棋世界創刊号に食事ネタがある

将棋世界創刊号(当時は博文館発行)の";棋界ナンセンス"という匿名コラムで、食事ネタがある。
1937年には、将棋に食事ネタを入れるのがすでに定番となりつつあったようだ


(出典:将棋世界1(1) p.62より)
なお、2000年までの将棋世界誌は、一部の欠けを除いて国立国会図書館でデジタル化されている。
図書館送信サービスにも対応していて、全国各地の図書館(リンク先を参照)で閲覧する事ができる。

北畠・関西本部時代の人気メニューはチラシ定食

出前店は不明。チラシ定食の中身は、まぜご飯にタヌキうどん(ハイカラうどん)との事。
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やがて休憩。対局者と一緒に食事をする。
こちらは、食べるものがずいぶん違う。「チラシ定食」なるものが人気で、なんだか分からぬまま、私もそれを頼んだのだが、
なんのことはない、まぜご飯に、タヌキうどんという組み合わせだった。
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(典拠:「将棋対局日誌集一-1」1990(力富書房) p.39より 適宜改行を施した)

陣屋特製カレーが生まれたきっかけは米長邦雄永世棋聖

396 :名無し名人[sage]:2009/09/30(水) 13:04:29 ID:pYgyfH1D
(司会)矢内先生は昨年度の女流名人という肩書きに加え、「女王」の名称も。
挑戦を受ける立場としていかがですか。

(矢内)そうですね〜。陣屋で対局できるっていうのがまずうれしいです。
陣屋ってカレーがおいしいんですよ☆
陣屋でカレー、米長先生が対局されたときにお昼に「カレーが食べたい」って言って作ってもらったのが由来だそうです。
(典拠:昼食・夕食・おやつ総合スレ ハーゲンダッツ12個目の396)

羽生善治名人は「ドーハの悲劇」を観戦して寝坊した

のちに「ドーハの悲劇」(1)と呼ばれることになるサッカーの試合が行われたのは
第6期竜王戦第2局1日目深夜だった。
最後まで観戦したため寝坊し、2日目の朝食をとらなかった。
羽生名人が竜王戦で朝食をとらなかったのはこれが初めて。
ちなみに、対戦相手である挑戦者の佐藤康光七段(当時)は途中で寝た。
(典拠:昼食・夕食・おやつ総合スレ 海辺でオロナミンC9本目の705)
(1) 1994年アメリカワールドカップアジア地区最終予選第5戦対イラク戦。

将棋会館での対局でおやつが出ていたことがある

> 局面がなかなか進まないので控え室では検討は一段落。
> 昔、対局時にはおやつが出ていたという昔話でひとしきり盛り上がる。
> 関西では午後のお茶代が支給されていた。14時になると、塾生が注文を聞いて回る。
> いつもケーキを注文する先生がいて、その際に必ず「ケーキを食べて景気をつけよう!」と言う。
> 誰も反応しないと、反応するまで3回は繰り返す。古き良き時代の思い出話か。
(出典:第56期王座戦挑戦者決定戦の30手目のコメント)(適宜改行を施した)

対局中は外食禁止

2016年12月14日より、
>>「電子機器の取り扱いに関する規約」
>>(2)対局者は対局している間、将棋会館より外出禁止とする(敷地内は可)。
とする規則が作られ、対局中の外出は禁止され、外食ができなくなった。
出前以外の買い出しは、関東ではアルバイトが、関西では塾生が担当する。
違反者は処分される。
(典拠:対局規定も含め規約違反のご報告[日本将棋連盟]より)

それ以前には1983年度の一時期、外出禁止だった事がある。
その件についての詳細は、初代・対局中外出禁止令[将棋ペンクラブログ]や、下記の項目を参照の事。


904 :名無し名人[]:2008/07/25(金) 12:49:10 ID:amyv7rFo
不正防止の為もう外食禁止でいいんでは?ソフトで検討も可能だし

925 :名無し名人[sage]:2008/07/25(金) 23:52:31 ID:pFUnsdVp
>>904
25年前、棋士会である棋士が「カンニングやってる奴がいるから」
という発言があったために外食禁止令が採用されたが、
棋士の評判が悪くて1年後に廃止になった経緯あり。

当時の外出禁止令を推進したのは当時の理事である武者野ら、
その撤回運動をして1年後に廃止にもっていった中心人物は米長、らしい。

927 :名無し名人[sage]:2008/07/26(土) 01:23:01 ID:yF31AVS+
(略)
最後の2行以外のソースは田丸が書いた「将棋界の事件簿」より

930 :名無し名人[sage]:2008/07/26(土) 01:31:58 ID:yF31AVS+
(略)
143P 第3章 将棋界の仕組みと出来事

    小題「昭和58年の対局中外出禁止令は背景にカンニング問題」より
(典拠:昼食・夕食・おやつ総合スレ カロリーメイト6箱目の904,925,927,930)

東京将棋会館にはほうじ茶が常備されている

705 :名無し名人[sage]:2008/02/03(日) 08:15:47 ID:UmvSfWt5
(略)
東京・将棋会館には大型ポットに温かいほうじ茶が常備されていて
自由に飲んでもいいことになっているらしい。
(典拠:昼食・夕食・おやつ総合スレ なべ焼きうどん5人前の705)

近藤正和六段の実家の和菓子屋ではゴキゲン饅頭を売っていた

819 :名無し名人[]:2008/01/22(火) 12:26:19 ID:ncKlG3iU
ゴキゲンの実家は柏崎の和菓子屋さんで、息子が活躍してからゴキゲン饅頭も売り出していたが

中越大震災で店舗が倒壊したのを期に閉店した
(典拠:第66期順位戦 part46の819)

鈴木環那女流初段の実家は寿司屋

にもかかわらず、2008年正月に食べ歩きに出かけた際には、寿司屋に行ったとのこと。
> 家族でネタの大きさや、しゃりの味などをしっかりチェックしていました。
> これではまるで偵察ですね。
> でも、寿司屋を経営するためにはこういう努力の積み重ねも大切なのだと、
> 新年から気が引き締まりました。
(出典:『読売新聞』2008年1月21日(月)夕刊)

女流の対局では出前の注文を聞かない

誰も出前を頼まないので注文を聞くという行為そのものがなくなってしまったとのこと。
(典拠:昼食・夕食・おやつ総合スレ なべ焼きうどん5人前の355)

対局者でなくても出前をとることができる

出前をとったのは先崎学八段。
『将棋世界』誌に「千駄ヶ谷市場」の連載を持ち、控え室の常連であり、
弱冠20歳でNHK杯を制し、強豪ひしめく順位戦A級を2期務め、
竜王戦挑戦者決定戦にジーンズで臨んだ先崎八段ならではの例外事項と考えられる。
(典拠:昼食・夕食・おやつ総合スレ キウイ4皿目の652)

[類例]
夕食休憩のない王将戦予選の対局を終えた渡辺明竜王が寿司の出前をとった。
参考:渡辺明竜王 - 第58期王将戦2次予選1組決勝対局後の夕食(2008/09/03水)

佐藤康光二冠が唯一作る料理はパスタ

パスタを作ることが気分転換になるとのこと。
北浜健介七段との研究会で試作品を作ったとき、
パスタが多すぎてソースに絡められなくなるという
初心者にありがちなポカをし、完食できなかったことがある。
将棋では既成の概念に捕われない意欲的な作戦をみせる
佐藤二冠がどのようなパスタを作るのか興味深い。
(典拠:昼食・夕食・おやつ総合スレ キウイ4皿目の15)

中田功七段の実家は鰻屋

福岡の「立花」という店らしい。
先崎学八段著『フフフの歩』に、う巻やうざく、かば焼きを食べる話が出てくるとのこと。
ちなみに中田七段は振飛車党だが、将棋界の「鰻屋」こと藤井猛九段創案の
藤井システムはほとんど採用しない。
また、加藤一二三九段のように昼食・夕食ともにうな重を注文することもない。
(典拠:昼食・夕食・おやつ総合スレ そば茶3本目の550)

佐藤康光棋聖が持参する水筒は紘子夫人が作る

補遺の対局中の飲みものでおなじみの、
佐藤棋聖が持参する水筒は奥さんに作ってもらうようだ。
水筒の中身が依然ベールに包まれたままなのは、
紘子夫人との間に協定か何かがあるのだろうか。
愛妻弁当持参の折には、おかずの詳細を文字だけでなく、
画像でも公開して大いにのろけていただきたいものである。
(典拠:昼食・夕食・おやつ総合スレ うな重2杯目の685)
付記:2007/12/16(日)の「情熱大陸」で対局日の朝に出される紘子夫人特製ジュースが紹介された。
材料はバナナ・ヨーグルト・黒ごま・はちみつ・牛乳。
しかし、水筒の中身と同一のものなのかには言及がなかった。
付記:島朗八段の第47期王位戦七番勝負第1局観戦記(『将棋世界』2006年9月号)によると
水筒の中身はお茶。
(典拠:昼食・夕食・おやつ総合スレ なべ焼きうどん5人前)の550

2日制タイトル戦の1日目にも夕食休憩がある

2日制対局の1日目は、封じ手によって指し掛けになる。
この命題は裏が成立し、手を封じなければ指し掛けにならない。
したがって、封じ手で長考しつづけると、棋戦によっては1日目でも夕食休憩に入る。
実際にこの規定が適用された例として確認されているのは2局あり、
第16期十段戦第7局(1978年1月9日?)で加藤一二三棋王(当時)が21時10分に封じ、
第55期王将戦第3局(2006年1月26日)で佐藤康光棋聖が20時24分に封じたのは、
当該棋戦の対局規定により、いずれも19時から20時までの夕食休憩をはさんでのことだった。
余談だが、両局には共通点があり、(1)封じた(長考した)のが挑戦者、(2)封じたほうが負けた、
(3)夕食のメニューが不明、が挙げられる。ちなみに両者ともタイトルの奪取にも失敗している。
(参考:長考 [加藤一二三の魅力])
(参考:将棋:第55期王将位決定戦・指し込み七番勝負 第三局−王将戦:MSN毎日インタラクティブ
キャッシュ [ウェブ魚拓])

羽生善治三冠が夕食をとるのはゴルフ練習場内のレストラン

NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」第20回(2006年7月13日放映)によって、
羽生三冠が夕食をとる店が明治神宮外苑ゴルフ練習場内のGreen Cressであることが明かされた。
注文するのは決まってクラブハウスサンド(番組ではサンドイッチと紹介。価格は1000円)。
奥の窓際が指定席。片道1kmを歩くため時間にゆとりがなく、大急ぎで食べる。
なお、昼食をどこでとっているかまでは言及がなかった。
番組放映後、外食が極端に減ったのは、棋界関係者でさえ知らなかった行きつけの店が
公にされたこととは無関係ではあるまい。

加藤一二三九段はトマトジュース1缶を9秒で飲み干したことがある

銘柄が特定されていないので標準的な1缶=190gだと仮定すると、
記録9秒は一般人としては十二分に早いものの、
第6回トマトまつり@つがるトマト生産者協議会で行われたトマト早食い早飲み大会での
最高記録(トマト2個[約400g]とトマトジュース[500cc]で37秒64)を鑑みれば、
残念ながら早食い界で覇を唱えられるほどではない。
ちなみに加藤九段の記録を計測したのは、谷川浩司九段。
(典拠:昼食・夕食・おやつ総合スレの172)

対局時にミネラルウォーターを初めて飲んだのは森雞二九段

現在では対局場の風景に溶け込んでいるミネラルウォーターを、
森九段が愛飲しはじめたのは1970年代のこと。
当時は業務用しか存在せず(家庭用の嚆矢「六甲のおいしい水」は1983年発売)、
それもビン入りであった(ペットボトルの使用が認可されたのは1982年)。
入手と持ち運びの困難を排する固い意志には、頭を下げるしかない。
それほど東京の水が口に合わなかったらしい。
なお、森九段はのちに対局中の飲みものをウーロン茶に鞍替えしたという。
(典拠:トリビアの泉@囲碁・将棋 その2の718 昼食・夕食・おやつ総合スレの148)
(参考:Q&A集 [日本ミネラルウォーター協会] ミネラルウォーターレポート [サントリー])
加藤一二三九段が関西遠征で鰻を注文しなかったのはこのため。
背開きでないと嫌だとか、蒸し焼きの工程がないと嫌だとかの
好み以前の問題だったようだ。
(典拠:【将棋】第63期順位戦 Part19の367から一部修正)

その後加藤の引退間際になって、実は鰻の出前があるのだが気づいていなかった事が判明する。

Shota Chida?@mizumon_
「将棋めし」で思い出した。
加藤九段が関西の出前に鰻はないと思われているようなので、「関西にも鰻はある」と伝えないと。
寿司と鰻は最後のページにあるから対局者が気づきにくいです。

ふな定はいいとして、寿司の出前ってどの店なんだろう

ひふみん10/21吉祥寺将棋の森イベント ?@hifumikato 24分24分前

プロ棋士生活62年目にして
初めて知った事実??
教えてくださって、ありがとう
(典拠:食事・おやつ総合スレ マンゴープリンの感想戦69手目 [無断転載禁止]©2ch.netの821,825)

加藤一二三九段は関西遠征時でも昼夕同じ食事をとる

メニュー固定派といえども、アウェイでは宗旨替えする棋士がほとんどのなか、
加藤九段だけはその信念を決して曲げることはない。
第64期順位戦B級2組1回戦(2005年6月17日)では天ぷら定食を、
同8回戦(2005年12月16日)では鍋焼きうどんと上にぎりを、昼夕ともに食べた。
ちなみに東京対局時の定跡は、「ふじもと」のうな重を本手順とし、
時折「なか根」の寿司で変化に出るというもの。
余人がほとんど真似しない(真似できない)のは、対四間飛車棒銀戦法と同じ。
加藤九段の食事にまつわる伝説は加藤一二三の魅力に詳しいので参照されたし。

羽生善治三冠は、出前をとって騒がれたことがある

かつて羽生三冠は頑なに外食をつづけた時期があり、
食事を注文しないことが古今不変の法則と信じられていたふしさえあったほど。
そんななか、第64期順位戦A級2回戦(2005年8月18日)で出前をとったときは世界を震撼させた。
これに匹敵する衝撃を与えるのは、加藤一二三九段が食事を注文しないことくらいだろうか。
(典拠:第64期順位戦 Part5の326)
同9回戦(2006年3月3日)で出前をとったときは、名人挑戦権争いに注目が集まっていたためか
ごく一部を除いて反応は薄かった。

丸山忠久九段は、1回の注文で代金が3000円をこえる

その数字が明らかになったのは、第64期順位戦4回戦(2005年10月24日)のこと。
丸山九段はメニュー固定派の一方の雄として知られるだけに、
毎回野口英世が3人投じられることに驚かぬものはいなかった。
昼食:「和歌寿司」の納豆巻・鉄火巻(さび抜き) そば茶3本 麦茶3本 で計3066円
夕食:「とんかつふじもと」のヒレカツ定食 なめこ汁 そば茶3本 麦茶2本 「カロリーメイト」 で計3224円
(典拠:第64期順位戦 part12の126)
ちなみに「とんかつふじもと」のヒレカツ定食は2000円。

丸山忠久九段は注文したヒレカツ定食を食べられなかったことがある

つとに有名な夕食定跡「ヒレカツ定食」がはずされた理由は、
夕休前に終局したからでもなく、丸山九段の気まぐれでもなく、
まして罰ゲームでもなく、店が材料を切らしてしまうという初歩的なミスだった。
代役を務めたのは麻婆豆腐定食とシューマイ。
手合い課はなぜ対局通知を「とんかつふじもと」にも出さなかったのだろうか。
(典拠:第64期順位戦 Part4の655)

2006/11/22(水)追記
この日は第65期順位戦A級5回戦があり、夕食定跡「ヒレカツ定食」を選んだ。
ところが、注文を受けた塾生の田嶋尉二段が何度電話しても、つながらない。
それに対して丸山九段は「つながるまで頑張って」と励まし、電話をかけつづけさせた。
丸山九段がヒレカツ定食を断念するのに要した時間は、数十分だったという。
手合い課はなぜ「とんかつふじもと」が休みの日に対局を組んだのだろうか。
(典拠:昼食・夕食・おやつ総合スレ うな重2杯目の820)

藤井猛九段は「鰻屋」になってから鰻を注文していない

藤井九段が「鰻しか出さない専門の鰻屋」と振飛車党の矜持を高らかに
謳ったとされるのが2004年春のこと。爾来「鰻屋」の称号をほしいままにするものの、
食事はめん類が主で、うな重・うな丼の類を頼んだとの情報は表沙汰になっていない。
2006年春には第24回朝日OPでひさびさの番勝負に登場することになり、
とっておきの秘策として鰻を注文するのではないか、との期待が膨らむ。
付記:期待されたうな重・うな丼は結局登場せず、
第3局で旅館が用意したメニューのなかに鰻巻玉子が姿を見せたにとどまった。

いわゆる藤井研では、たいていカレー屋で昼食をとる

メンバーの中川大輔七段がインド料理に造詣が深く、無類のナン好きなため、
主宰者の藤井猛九段が各員に希望を訊くより早く、中川七段がカレー屋に向かってしまうらしい。
(典拠:渡辺明ブログ:2005年2月20日 トリビアの泉@将棋・チェス Part4の137)