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名誉九段 金易二郎
食事とおやつについて
好き
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瓜好きは棋界にも有名
就中西瓜は大の好物で、一寸したものならペロリと一人で平らげる
(出典:将棋世界1(1)p.62 将棋世界創刊号に食事ネタがある参考)
その他
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食事から八段をのぞく
名人決定戦は、他の将棋と違つて、なか/\精力の消耗するものと見え、食ひものゝ選択が作戦の一つになつてゐる。
昼食抜きは、花田八段と、近頃神田八段がやりはじめた。
一体、食事から見た、各八段の好物はどんなものだらうか、御披露に及ぼう。
神田八段は、その体質がものをいつて、「柳川」を常食としてゐる。
胆汁質組の土居、木村両八段は、「鰻」が大変な好物で、食事の注文は「鰻めし」にきまつてゐつ。
神経質組の花田、金子両八段は、すつぽんの雑炊を第一に時に長駆お座敷テンプラに出かけることもある。
金、萩原両八段は、要するに何んでも来いだが、とりたてていふと、洋食弁当である。
金子八段は、夏になるとさすが生粋の江戸子だけに、盛に「もり」をつる/\とやる、その食ひつぷりも洗練されたものである。
木見八段となると、日本料理一点張り、御機嫌のいゝときは、自ら市場に足を運んで材料を買出し、手料理に及ぶといふ隠し芸をもつてゐる。
酒は、木見、土居、金子、花田各八段が屈指の豪のもの。
木村、萩原、神田の各八段は、一杯の酒に真ツ赤になる下戸党である。
(出典:「本社独占名人決定大棋戦譜. 第三輯」33pより)
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秋田の正月
また家の中には神様のほかにエビス大黒をかざり、それを曲げて作った特有の餅
その他種々のものを供えて七草の日にこれを食べるしきたりですがこの餅を食 べられるのは戸主と長男に限り、
次男は生まれ変らないことには、食べることができません。
餅好きのせいか、あの餅を一度でもよいから食って見たいと、どんなに残念な思いをしたことか、いまだに忘れられない。
(出典:将棋世界1963年1月号 適宜改行を施した)
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金名誉九段の大往生
ある対局のとき、金先生は例によって長考にふけったが、そのうちひどく腹が減ってきたので「握り飯に塩をタンマリかけて持ってきてほしい」と注文した。
女中は早速ホヤホヤの握り飯を皿に山盛りにして持ってきたが、その途端、妙に酸っぱいにおいが部屋中にひろがり、居合わせた連中が変な顔をしたが、金先生はそれに気付かず、考えながら片手を伸ばして握り飯を取り、山盛りのを夢中で残さず平らげてしまった。
が、やっと長考が終って次の手を指した途端、それが酢をたっぷりかけた握り飯であったことに気がついた。
なんとそれは女中の早合点で、金先生が秋田のお国訛でシオをたんまりと云ったのを、スをたんまりと聞き間違えたのであった。
それが分って一同腹を抱えたが、長考中は酢であることに気付かぬほどに読みに没頭していたので、如何にも金先生らしい逸話である。
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(出典:将棋世界昭和55年10月号より 適宜改行を施した)
将棋ペンクラブログ「対局中に出てきた恐ろしい握り飯」も参考
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大先生は東急の五島慶太に将棋を教えていた。けいこの日には、よく私を連れてって、帰りには必ず団子をごちそうしてくれた。
道玄坂を上ったところに太田屋というダンゴ屋があり、そこへ立ち寄っては、きまってダンゴを二本ずつ、そしてお茶を注文する。
私は育ち盛り、食い盛り、二本ぐらいのダンゴなどたちまちたいらげてしまう。
大先生はダンゴが好きなのか嫌いなのか、ゆっくりゆっくり食べている。
皿の上にはもう一本、手つかずで残っている。それを大先生は私にくれる。
結局、私が三本、大先生が一本、というのがワンパターンだった。
(出典:「棋士という人生 傑作将棋アンソロジー」大崎善生編 新潮社 2016 p.95より 適宜改行を施した)
※大先生=金易二郎、私=芹沢博文、大師匠と孫弟子のエピソード
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