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九段 大野源一
食事とおやつについて
その他
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大野さんは小柄だったが、少年時代は意外の大食らいで、木見翁のところに入門の日(数えで十四歳だったが)木見夫人のふさ子さんから小さいと云われたのが癪にさわり、「キツネうどん」を五杯平らげて木見夫人を魂消させたそうである。
当時木見翁は七段だったが、将棋の先生だけではやってゆけず、副業にうどん屋を開業していたので、内弟子の大野さんは将棋の勉強をするよりもうどんの出前持ちで駆け回る方が多かったという。
後年、大野さんは酒豪になり、食の方はそれほどでなくなったが、初二段時代に最も好物だったのはサツマ芋で、貰った金(かね)の殆どを焼芋屋に入れあげ、一日に四キロぐらいの焼芋は平気で平らげたそうだ。
そして、木見夫人から
「そんなにおサツをたべたら、おナラが出て体中が黄ろく臭そうならへんか」と、よくからかわれたものである。
が、少年だけにそうしたことも愛嬌になって、贔屓客から大理石に刻まれた「イモ源」という判を贈られ、愛称の「ゲン坊」が「イモ源」で通った一時期もあった。
サツマ芋と云えば、高段者になってからのことだが、東京の市電の中から旨そうな焼芋屋のあるのを見つけ、場所を覚えておこうと窓から首を出して一心に眺めているうちに全財産の百何十園かを入れた虎の子の皮財布を抜き取られた。
(出典:将棋世界昭和55年8月号「将棋童子の最後」より 適宜改行を施した)
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昼の休みに入り、いっしょに食事をしていると、若い棋士が大阪で食べた、すしがまずかったと口走った。
「そんなこと、ありませんで」と大野はぎょろりと目をむいて、
「あんたら知らんのかいな。大阪の食べもんで、まずいもん、ひとつもありまへんで」と反論した。
すし、うどん、酒と早口で並べ立てて大阪の美味を推賞した。
「昔、木見先生はね、東京の酒はまずいと言いましてな。対局ごと、一升びんを持って上京したんでっせ」
(出典:
「昭和「将棋指し」列伝」天狗太郎 時事通信社 1993 p.174より 適宜改行を施した)
※1974/10/28連盟杯戦、対関根茂八段戦でのエピソード。将棋世界誌に初出があった記憶あり
トーナメント戦
年度 |
期 |
棋戦 |
|
氏名 |
段位 |
|
|
1977 |
04 |
名将戦 |
予選決勝 |
大野源一 |
八段 |
●丸田 昼食:カツライス 夕食:うな丼 |
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1956 |
04 |
B級トーナメント |
3回戦 |
大野源一 |
九段 |
●小林(西) 昼食:(外出) |
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